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●幻想を取り払う

英語に上達するには理にかなった方法で継続的な学習をすることですが、この単純で確実な鉄則を実行に移すのはおもいのほか難しいものです。理にかなった方法を見つけること自体が大変だし、その方法で学習を継続するためには根気とエネルギーが要求されるからです。そこで願望が容易にはかなわない時の常で、英語学習に関してもさまざまな幻想が生まれることになります。

それらの幻想の主な共通点は苦労なしに、速く英語がマスターできるということです。残念ながらそんなにうまい話があるはずも無く、真摯に英語上達法を説く本や、ネット上のサイトなどでこれらの幻想の非現実性が指摘されることも多いのですが、いまだに多くの人に根強く信じられているのが次のようなことでしょう。

1. 英語は母国語(日本語)を覚えたように、楽に、努力なしに習得すべきだ。
2. 英語が話される国に行けば、すぐにうまくなる。
3. 短期で英語がマスターできる秘策、教材がある。

英語というターゲットを冷静にとらえ、合理的な方法で上達を目指すというのが当サイトの目的ですから、まず迷信を取り払うというのは意味のあることだと思います。
そこで、上に挙げた幻想・神話の信憑性について検証してみたいと思います。

 

私たちは意識的な学習をすることなしに母国語の駆使能力を自然に身につけてしまいます。確かに私たちは母国語である日本語を覚えるのに、発音練習を繰り返したり文法の問題集を解いたりといった勉強はしません。にもかかわらず物心ついたときには日本語を自由に使いこなす能力を身につけているのです。ここから母国語を覚えた時と同じ過程で英語も覚えるべきだという主張がされるのは自然です。

確かに母国語と同じように英語を習得するというのが理想的な方法でしょう。しかしこれが「言うは易く行うは難し」の典型なのです。自然な過程と見える母国語の習得が、いかに理想的な条件のもとで起こるのか冷静に見てみましょう。

まず、母国語を覚える以前には我々の頭には他の言語が入っておらず白紙の状態です。外国語を覚える際の大きな障害のひとつに母国語の影響があります。例えば、日本の音韻体系が身についてしまうと、RとLやBとVの区別が困難になるとか、日本語的世界観が出来上がってしまうと、英語の時制構造や発想法を受け入れがたくなるといったことです。母国語を覚えるときにはこの問題に悩まされることはありません。

また母国語を覚える課程で子供は常にその言語のネーティブ・スピーカーに囲まれ言語刺激を与え続けられるのです。母親、父親、その他の近親者、外に出るようになると母国語習得の先輩である年上の子供たちとの付き合いも始まります。われわれは母国語の学習をしないというのはとんでもない勘違いです。意識的な「お勉強」をしないだけで、人生の最初の数年間に極めて濃密な言語訓練を受けるのです。

もうひとつ言語習得の容易にする子供の脳の問題があります。幼い子供の脳は言語に対して開放されていて、母国語はもちろん、2つ目、3つ目の言語でも楽々と吸収していきます。海外で暮らすことで外国語を流暢に操るようになる帰国子女たちはその好例です。しかしこの脳の開放状態は10〜12才くらいの比較的早い時期に終わり、それ以降は長期間海外で暮らしても帰国子女たちのような形での外国語の習得は起こりにくくなります。

日本語と同じように英語を覚えるというのはこのような条件、環境を度作り出すことです。しかし時間を逆転させることはできません。もう一度子供になり、日本語を頭から消去し、英語で囲まれた子供時代をやり直すわけにはいかないのです。もうある年齢に達してしまい、日本語で日常生活を送る学習者が英語に上達するためには、母国語の獲得や子供が言語を覚えるプロセスに刺激やヒントを得ながらも、異なった方法を見つける必要があります。

 

英語が話される国に行って生活すれば、すぐに英語が上達すると信じる人は多いものです。しかし、基礎力を持たず一定の年齢に達した人が、英語圏で暮らすだけで英語に熟達するということはまず起こりません。これについては私自身が3年ほどの海外生活でたっぷりと実例を見ましたのでそれについてお話しましょう。

●えっ、一年以上いてこのレベル?

私が初めて海外に出たのは'89年のことで当時31歳になる直前でした。アイルランド、イギリスを3ヵ月ほど旅行する計画で、最初の数週間はイギリス南部の語学学校で英語を学ぶことにしました。すでに基礎訓練は終えていて20代後半にはTOEIC900程度のレベルに達していましたが、3年ほど全く英語に触れていなかったことと、実際の会話経験が皆無に等しかったので、しばらく現地の学校で錆落しと会話の練習をすればその後の旅行が楽になると思ったのです。

学校に着くとすぐに英語力をテストされ、7つほどあるレベルの一番上のクラスに振り分けられました。12、3人いる学生のほとんどはヨーロッパ人で、一様に流暢な英語を操り、さすがに最上級クラスだなと思ったものです。しかし、その中に3人いた日本人学生の英語がヨーロッパからの学生とは程遠いレベルだったのです。ヨーロッパ人学生たちが英語を実に楽々と話すのに対し、彼らが英語を話す時は頭の中で懸命にセンテンスを作り上げているのが明白でした。読解スピードも全く違い、授業で新聞の記事などが使われると、日本人学生が3分の1も読まないうちにヨーロッパ人学生たちは読みきってしまうのです。

数日するうちに、事情がだんだんとわかってきました。そのクラスのヨーロッパ人学生たちは主ににドイツ、オランダ、北欧など英語と非常に近い言語が話される国の出身で、また語学学校での勉強はバカンスを兼ねたもので、滞在期間は1週間から長くて1ヶ月くらいの短期でした。一方3人の日本人学生たちは全員すでに1年以上その学校に籍を置き、一人は前の学校と合わせると2年近くイギリスにいるということでした。彼らの英語のレベルそのものはとても上級とは言えないものの、在籍期間の長さと出席情況の良好さからトコロテン式にクラスを上げられて来たのだということが察せられました。他のクラスにも日本人学生が分散しているので全校で20〜30人の日本人がいたのですが、最上級クラスでその程度ですから下のクラスいる日本人学生の英語力は痛ましいものでした。

他の日本人学生たちは日本から来たばかりの私がヨーロッパ人学生たちと同等の英語を話せるのを不思議がっていましたが、私の方も彼らがイギリスに一年以上もいて英語を使いこなせないということが理解できませんでした。というのも、それまでは私自身、海外でかなりの期間暮らせば英語は自然に上達するものと思っていたからです。日本で英語のトレーニングはしていましたが、私が置かれた情況の中では他の選択肢がなかったからです。当時私は留学ができるような情況では無く、英語力をつけたければ国内でやるよりほかなかったのです。しかし、できることならいつか海外で暮らしたいと願っていたし、そうすれば日本でよりはずっと簡単に英語を覚えられると思っていました。ですから、イギリスの語学留学生の実態を知った時は愕然としました。

語学留学の実態

アイルランド旅行を終えた後、私はひょんな事から現地で職を得、'92年に帰国するまで首都のダブリンで生活することになりました。私が得た仕事はロンドンに本店を置く日系旅行代理店のダブリン支店店長というものでした。この職を通じて海外で英語を身につけようとするいわゆる語学留学生の実体をつぶさに目にすることになりました。

当時アイルランドは日本人の少なさから語学留学の穴場として知られ始め、日本人学生の多さを避けてロンドンやその他のイギリスの各地から日本人学生が流れて来たりもしていました。彼ら語学留学生はたいがい期間一年のオープンチケットを持っていて、帰国が近づくと帰りのフライトの予約を入れるのです。彼らが店にやってくると私は前任者に倣い、無料で予約の代行を行っていました。しかし、アイルランドで唯一の日本語が通じる旅行代理店のため、語学留学生の間で口コミで情報が伝わり次々と予約代行を求めて語学留学生が訪ねてくるようになったのです。

彼らが持ってくる航空券は、日本の別の旅行代理店で購入したもので、本来私の店でそうした面倒を見る義理はありません。ただ、英語の話せない人を同じ日本人のよしみで助けてあげようということで私の前任者が始めた無料サービスでした。私が勤めていたダブリン店は支店長の私以外従業員が一人もいない店で、何から何まで一人でこなさなければならず、オフシーズンならともかく仕事の忙しい時期に余分な仕事をすることは、日本人語学留学生の増加に伴い負担になってきました。また用が済んでも店に居座る留学生もいて、オフィスが語学留学生の談話室と化すこともたびたびでした。

そもそも席の予約自体に大した英語力は必要ありません。航空会社に電話して、「貴社のオープンチケットを持っているが、○月○日のフライトの席を取りたい」というようなことを言えばいいだけのことです。使いそうな英語の文句をいくつか書き出して、これを読めばいいからと渡しても、相手が言うことが理解できないと、べそをかきそうな顔をするのです。しかし、そもそも海外にやってきたのは英語を学ぶためだったはずです。オープンチケットの帰りのフライトを予約するということはもう1年海外暮らしをしているということにほかなりません。それで、この程度の英語のやり取りができないというのは理解に窮します。

ついに私は予約代行に対して50ポンドの料金を取ることにしました。当時のレートで一万円を越しましたからわずか1、2分の電話で済んでしまうサービスに対する代価としてはかなりのぼったくりだと思います。私としては、こうすればさすがの語学留学生たちも、私の書いたフレーズを頼りに自分で予約に挑戦すると思ったのです。しかし、驚いたことに相当数の留学生たちがそのとんでもない料金を払い予約の代行を頼んだのです。

●海外に行くタイミング

勿論、海外生活そのものが無駄というわけではありません。外国語の基礎をしっかりと身につけた後、最後の仕上げとして、その言語が話される国である期間生活するのは理想的です。しかし、海外生活を英語力向上に役立てるためにはそのタイミングが問題になります。英語力を磨く点での海外生活の一番の利点はネイティブ・スピーカーとの接触が多く持てるということですが、そのためには会話が成立するだけの基礎力が必要です。

海外の英語学校では会話中心の活発な授業が行われると思っている人が多いのですが、英語学校は会話学校ではありません。初級、中級クラスではかなりの時間が文法のために割かれ、そのレベルはあまり高くありませんし、いろいろな国籍の学生がひとつのクラスの中にいるので文法ルールを教える方法が日本人に向いていなかったりで、日本の学校で勉強するより能率が悪いということもあります。そもそも海外の語学学校で文法や基礎語彙を勉強するのは時間と費用の無駄だと思います。文法や語彙増強は日本で勉強できるし、しておくべきです。

海外で英語の使用能力を大きく伸ばすためには基礎段階がほぼ完成してから行くのがもっとも効果的です。具体的に言えば、TOEIC800を越えるレベルなら申し分ないでしょう。このレベルで海外に行けば、初めからネイティブ・スピーカーとのコミュニケーションはかなり円滑に進み、持って行った基礎力が短期間でどんどん活性化するのを実感できるでしょう。もっともTOEIC800は理想的ですが、やや基準が高すぎるかもしれません。しかし多少妥協してもTOEICで600を越え、一対一の対話では相手の言っていることがほぼつかめ、すらすらとはいかなくても言いたいことを自分のペースで話せるレベルには達しておくべきです。このくらいの英語力は日本にいても必ず身につけることができるし、それができない人は英語学習に対する動機が曖昧で、目標のために主体的な努力をする性質が欠けているわけで、海外で学んでも大きな成果をあげるのは難しいでしょう。

 

英語を苦労なしに、あっという間に覚えるための方法、教材を捜し求める人が多いようです。そして、実際にさまざまな媒体でそのような方法、教材の広告が打たれています。宣伝コピーは実に誘惑的です。「○ヶ月であなたもネイティブレベルの英語力が身につく」だの「努力しなくても○週間で英語をマスター」、中には「○時間でペラペラ」と銘打ったものもあります。どれも実に巧みな誘い水を撒き、英語学習者の幻想を膨らませてくれます。しかし、結論から言えば電子レンジにかけたごとくあっという間に、英語力をつける方法や、それをやるだけで初心レベルから上級レベルに一気に英語力を引き上げてくれる決定的な英語教材は存在しません。少なくとも、現時点ではそういうものはありません。

もし、英語が努力なしに、短期間にマスターできる方法が現実に開発されたらどうなるか、冷静に考えてみましょう。英語に対する憧れは強く、英語が話せたらなあと思っている人の数は膨大です。高校・大学受験でも英語が合否を分ける重要な科目であり、ビジネス界でも英語によるコミュニケーション能力が強く求めらています。

もし、一気に英語力をつける方法ができたなら、それがどんなにひっそりと生まれたとしても、効果を上げた人から人へと口コミでひろがり、やがてマスコミも大きく扱うこととなるでしょう。言語学会や教育機関も注目するはずです。そしてその方法の有効性が証明され、多くの人に使用されるようになれば、従来の時間とエネルギーを要求する学習法はもはや一顧だにされなくなり前時代の遺物として忘れ去られるでしょう。

ところがそういった事態が起こっている気配はありません。実際には「らくらく英語マスター法」やら、「革命的教材」やらは、ひっそりどころか、莫大な宣伝費をかけて書店や、新聞、雑誌、などで広告されて世に出ます。しかし、今までのところ日本人の英語力に大きな変化は認められません。英語をマスターするための魔法めいた手は、少なくとも現時点では無いということでしょう。

●これひとつに賭けてやってみたけれど

ここで私自身の経験をお話します。英語を努力なしにあっという間にマスターできる秘術などは信じていない私でしたが、教材への盲信に対する免疫はありませんでした。大学に入学すると同時に、私は定評のあるシステム教材で英語の学習を始めました。実はこの教材を手に入れたのは高校一年の時でした。商社に勤務する父がなんの気まぐれか、ぽんと買ってくれたのです。なんでも父の勤める会社で海外駐在が決まった社員はみなこの教材で勉強していくという信頼の厚いものだったのです。

英語に興味を持つ友人たちの中にも、この教材について知っているのがいて、彼らによるとこの教材をマスターするとアメリカ人と区別のつかない英語を話せるようになるそうで、私はおおいに羨ましがられたものです。当時毎月買っていた映画雑誌にも、この教材の広告が載っていて、おかげで映画が字幕なしに楽しめるようになったとか、ネイティブ・スピーカーにアメリカのどこで育ったのか訊かれたというような利用者の成功談が私の期待をますます膨らませました。

もっとも何をするにも助走期間の長い私が、実際にこの教材を使うのは数年してからだったのですが、やりさえすれば自分はバイリンガルとして生まれ変わるのだという確信を胸に秘めていたのです。大学に入り、いよいよこの教材の封を解き、数冊の分厚いテキストと解説書、ドリルブック、10巻近いカセットテープを手にしたときは、一年後英語の達人に変身している自分を想像し陶然とした気分に浸りました。私はその日から毎日欠かすことなく、解説書に書かれた学習法に従って、実に勤勉な勉強を続けました。常に大声で練習していたので、マンションの隣人の方から随分ご熱心で、と皮肉まじりに言われたこともありました。

しかし、約束の1年後、一日も欠かすことなく学習したにも関わらず、私の英語力は期待したレベルからは程遠いものでした。映画は相変わらず字幕無しではほとんどわからないし、思ったことを英語で言ってみようとしても英語が自動的に口をついてでてくるという具合には行きませんでした。ペーパーバックを開いてもすらすら読めるなどとんでもないことでした。

この教材がインチキだったというわけではありません。現在も多くの学習者に利用されているこの教材はよくデザインされた優れた教材で、事実、私はその後フランス語を勉強する時にもこの教材を楽しんで使いました。ただ、どんなに素晴らしい教材でもそれだけで一言語をマスターするなどということは起こり得ないのです。教材の販売者はビジネスの常で買ってもらうためには多少大げさなことをいうものです。

英語の習得は一足飛びに短期間で達成されるものでなく、薄紙を一枚ずつ剥ぐように多くの段階を経ていくものです。ひとつの食品、ひとつの栄養素だけで身体が成長しないように、英語力を伸ばすためにはさまざまなトレーニング、教材をバランスよく組み合わせ使っていく必要があります。当時の私は裏切られた思いだったのですが、実際にはこの教材は初心者の私がその段階で得なければならない栄養を与えてくれ、英語力向上の一助にはなったはずです。教材を使う時、それをこなすだけで英語力が完成するのではなく、自分の英語の血肉になっていく栄養のひとつと考えることが肝要です。

 

心地よい幻想をひとつひとつ否定してきたことで、私を意地が悪く、勤勉と努力ばかりを説く精神主義者と思わないで下さい。私は自分をかなりの快楽主義者だと思っているし、無駄な努力、報われぬ苦労をするのは何より嫌いです。この国の精神性のどこかに染み付いている恭順の強制と苦しみを礼賛する禁欲主義は私がもっとも嫌悪を感じるものです。原則として目標を達成するための過程はもっとも短く、もっとも苦痛が少ないのが良いと思います。

しかし、私は怠惰であると同時に現実主義者でもあるので、何か達成したいこと、手に入れたいものがある時、そのために必要最低限のエネルギーは投下するタイプの人間です。木のてっぺんに美味しそうな果実がなっていたら、自然に落ちて来るのを待ったり、他の人がとってくれるのを期待したりはしないでしょう。思念を送って念力で落とすというのも現実性がなさそうです。私だったら梯子を見つけるか、組み立てるかして、それを木にかけて上って行くでしょう。英語を身につけるためにはメソッドという確かな梯子があります。しかし果実が実る高みまでは自分で上っていくしかありません。英語という果実を楽しむにはこの最低限の作業をしないわけにはいきません。

 


 
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