私が、A氏の英語学習を手伝うことになったのは、アイルランドからの帰国後数年して、知人を介してでした。当時A氏は、一浪を経て中堅の私大を卒業後、中規模の商社に入社して数年を経た頃でした。確か、25歳だったと記憶しています。貿易会社に入ったものの、英語がまったく話すことが出来ず、どうしたらいいかと悩んでいる時に私に紹介されました。
喫茶店で初対面した彼は、178センチの私がやや見上げる長身の好男子(語感が古いな〜)でした。竹を割ったような性格の彼に、私の方も明確に、学習法の概略、学習プランなどを説明しました。英語の学習は、勉強というよりスポーツのトレーニングに類似しているという私の話は、彼にとって目から鱗が落ちる感覚を与えたようでした。と、同時に学生時代スポーツに打ち込んで来た彼には、受け入れやすいものだったようです。その場で、「それでは、お願いします。」ということになり、我々のパートナーシップが開始されました。
彼の当面の目標は会社で要求される、TOEIC700。入社以来受けた3回のTOEICのスコアは300台後半から400ちょっということでした。しかし、大学受験期、英語は得意な方で、大手予備校の模擬試験でも偏差値は常に60を越えていたそうです。知識がまったく稼動していない典型的なケースです。英語で話し掛けてみても私の言うことは半分もわからないし、自分では中学1年程度の文を組み立てることもうまくいきませんでした。私はまず中学2、3年のテキストを音読パッケージで仕上げることと短文暗唱=瞬間英作文で中学英語の文型をマスターすることを課しました。また、ためしに中学テキストを読み上げてもらったところ、ローマ字読みの混じるかなりいいかげんなものだったので、あやふやな単語については必ず発音記号を調べ、モデルのネイティブ・スピーカーの発声に倣って音読するように指示しました。このいいかげんな単語の読みは、受験英語ではかなりまかり通っていて、テストではそこそこの点を取る学生が、「geography」を「ゲオグラピー」、「fake」を「ファック」などと発音してくれて絶句させられることがあります。
A氏の指導は、定期的なレッスンではなく、電話で連絡を保ち、必要な時に会って質問に答えたり、指示を与えるという形態でした。ムードで英語を始める人の大半は、この中学英語の基礎的トレーニングがこなせず脱落してしまうものですが、スポーツで鍛えたA氏にはどうということも無く、トレーニングは順調に進みました。中学英語のトレーニングがかなり進んだ頃、電話で話した際、彼はうれしい変化を私に告げました。週1回、会社が無料で行う英語の講座で、アメリカ人講師の言うことが非常によくわかるようになったというのです。眠っていた英語の基礎が稼動してきた兆しです。
ほどなく、彼は中学の英語テキスト2冊の音読パッケージを終了しました。所用期間は4、5ヶ月でした(一冊あたり合計300回の反復がノルマで、現在の2〜3倍でした!)。そこで、短文暗唱で中学英語をさらに熟成させながら、大学受験の英文法と精読を復習するようにアドバイスしました。彼の場合、文の構造をしっかりと把握する精読の方法については問題ありませんでした。しかし、文法の方は、頭での理解はしているものの、声を出し、文を書き付け、サイクルを回す方法は全く知りませんでしたので、喫茶店で1〜2時間かけて教えました。文の音読を実際にやる際、彼の声が大きく他の客の注視が集まったのを覚えています。
そんな中彼から、10ヶ月ぶり位に(私の指導を受け始めてから半年程度だったと思います)受けたTOEICで200点近くスコアが伸び、600台後半に入ったと興奮した声で電話が入りました。その後、A氏は、文法問題集2冊と英文解釈の本一冊を3〜4ヶ月で終了しました。中学英語による英語回路の設置は完了。大学受験レベルの文法、精読も完了。そこで、私は彼のトレーニングを、次のステージに進めることにしました。我々のパートナーシップ開始から7〜8ヶ月のことでした。
音読パッケージのテキストのレベルを上げ、アメリカ英語教本中級用(研究社)のpresentaion部分を使うようにアドバイスしました。短文暗唱=瞬間英作文には「話すための英文法」@A(市橋敬三著。研究社)を勧めました。また、新たに通勤(往復で2時間強)時間を利用してプレ多読も開始してもらいました。まず、第一次として、私が持っていたladderシリーズや南雲堂の対訳本を合わせて20冊位を貸しました。アメリカ英語教本中級用の音読は1〜2ヶ月で終わったと連絡を受けたので、そのまま上級に進んでもらいました。「話すための英文法」も楽しく進んでいたようで、会社の無料英語講座でも英語がスムーズに出始めて講師や同僚が驚いていると嬉しそうに語っていたのはこの頃だったと思います。TOEICのスコアも、私のアドバイスを受け始めてから1年たったころには、会社が要求する700点をすでにクリアしていました。ただ、TOEICの700というレベルが、彼がイメージしていたほど高くないことを実感して、また、いまだ天井にぶつからない英語の学習も面白くなってきたということで、我々のパートナーシップはそのまま継続されました。
A氏のトレーニングの進行はその後も順調でした。アメリカ英語教本上級用も終了。次の音読パッケージは彼自身が選んだもので、私も見せてもらいゴーサインを出したのですが、何だったのか思い出せません。「話すための英文法」の@Aは4〜5ヶ月で終了。次に「松本亨英作全集」(全10巻)を勧めました。私が貸していたプレ多読用の教材も読み終わったということでさらに20冊位を新たに渡しました。プレ多読に関しては通勤列車の中だけでなく、休日を利用してかなり集中して読んでいたようです。TOEICのスコアはこの時期700台を順調に伸びて行き、パートナーシップ開始から1年半を経た頃には780位になっていました。
しかし、TOEICのスコアはこれをピークに伸び悩み始めました。というより、下降して、一度など700ぎりぎりまで落ち込みました。時々会う折、彼は英語の難しさをしきりに訴えました。ところが、時々英語で話すと、自信喪失の表情とはうらはらに初対面の頃とは比べ物にならない流暢な英語を話すのがちぐはぐでした。この時期、彼のトレーニングは音読パッケージが休止状態。短文暗唱=瞬間英作文もペースダウンして、「松本亨英作全集」も3〜4冊で足踏みをしていました。多読は順調で残りの本も完読し、ラダ―シリーズ、対訳本、サイドリーダーなどを合計40〜50冊くらい読んだことになります。そこで、今度はボキャビルに取り掛かりながら、一方で、学習者用で無い、一般の新聞・雑誌・ペーパーバックを読み始めることをアドバイスしました。
A氏は、新聞はジャパンタイムズに決め、私の指示に従い、週に2〜3回買い一面と社説、及び興味を持った記事を読むスタイルを取りました。雑誌は、TIME、NEWSWEEKは歯が立たないということで、リーダーズダイジェストを読むことにしました。ペーペーバックは厚い英語の本など読む自信がないと及び腰でしたが、私の勧めで、読み易いシドニーシェルダンで入り、恐怖症が少し治ったようでした。ボキャビル、多読がペースに乗り始めた頃、彼のTOEICのスコアも安定し始め、700台後半に戻していました。彼からの電話による質問や会いたいという要請が急速に少なくなってきました。
と、突然彼から明るい声の電話が来ました。TOEICでついに800を越えたという報告でした。確か830か840だったと思います。初対面の時から2年ちょっとだったと記憶しています。その後彼からの電話はさらに少なくなり、時折かかってくる際も一般的な近況報告で、英語に関する質問がほとんど無くなっていました。やがて、彼からの連絡は途絶えました。「あー。これで我々のパートナーシップは完了したな。」という風に私は理解しました。私も自分のことで忙しく彼のことを徐々に忘れ始めていました。
そんなある日、突然彼から電話がありました。私は急速に物事を忘れる人間なので、A氏のことを思い出すのに数秒を要しました。最後の連絡があってから半年以上が経過していました。A氏は私の近況や健康を尋ね、自分の近況について話しました。私は、体育会系の彼が、きちんとした形で我々のパートナーシップを終えたいのだなと感じました。「英語はどう?」と私は水を向けてみました。「あ、英語は順調です。もう普通に使ってるだけですけど。トレーニングは特にしてません。あ、TOEIC、870(880だったかな?)いきました。」彼は、一時はあんなに捕らわれていたTOEICのスコアについては最後に付け加えただけでした。「長い間、お世話になりました。一度お会いしてお礼を申し上げたいのですが・・・」体育会系のA氏でした。「ええー。いいよ、いいよ。そんなこと。それとも、何か貸してあったものがあったっけ?本とか」私が言うと、「いえ、本は全部お返ししました。」と彼。「でも、最後にきちんとご挨拶しておきたいので・・・」律儀なA君ですが、私は「きちんとしたご挨拶」はするのもされるのもしんどい人間です。やんわりとそれには及ばない、どこかで偶然会ってお互い「やあ、久しぶり」というのが好きなのだと説明しました。「まあ、A君が僕のために、手編みのセーターでも縫ってくれていて、手渡したいというのなら別だけど」季節は晩秋になっていました。私のくだらないジョークに真面目なA氏は苦笑しました。その後2、3言交わし我々は電話を切りました。
A氏が本格的に英語のトレーニングを開始してから、TOEICスコア400前後から800台後半に達する期間は2年半程度と、短いものでしたが、本人にはなかなか大変だったと思います。この期間、彼は会社の同僚などとの付き合いは必要最低限に抑えていたし、帰宅後の自分の時間や休日をほとんど英語に注いでいました。つきあいの悪さに、大学時代から付き合っていた恋人に振られるという苦い経験もしました。その頃、喫茶店で会った際、「彼女に振られました・・・」と告げた彼の消沈した表情は痛ましいものでした。普段は個人的なことを話す相手ではない私に対して失恋を告白した彼の心情は、誰かに聞いて欲しいというものだったのでしょう。恋愛指南役ならぬ私は「ああ、そう。残念だったね。」といったきり口をつぐむしかありませんでした。胸の中では、「泣くなA君。いい女性はまた見つかるさ。これくらいのことで愛想をつかす女の子は、どこかでいずれ別れることになったさ」と呟いていましたが。