英語上達の道案内人を務める私の英語力に興味を持たれる方も多いでしょう。結論から言うと、私はとても英語をマスターしたとは言えませんし、達人を自称するわけにもいきません。私は中学に入ってから初めて英語を教科として学び、20代に入ってから学習・トレーニングにより基礎を身につけ、英語をコミュニケーションの道具として使い始めたのは30歳を過ぎてからでした。現時点でも私の英語力にはさまざまな限界があります。
例えば、
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映画やTVドラマが完全にはわからない。特に、口をあまり開かないぞんざいな発音で早口に話されるセリフ回しが多いと、理解度は半分以下になる。 |
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好きなリーディングの速度もネイティブ・スピーカーの読書家に比べるとはるかに遅い。 |
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英語のスピーキングにおける表現力も母国語の日本語に比べるとずっと劣るし、文法的、語法的間違いを犯す。 |
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英語のライティングでは文法・構文的にはかなり正確でも語感が鈍く、ネイティブ・スピーカーのように素早く、自然な文体では書けない。 |
とはいえ、私の現在の英語力が学習・トレーニングで習得した獲得言語としては、かなりのレベルにあることも事実だと思います。
私は英語が日常語として使われる国(アイルランド)でほぼ3年生活しましたが、当初から仕事・プライベート共に英語でコミュニケーションを取ることにはほとんど問題はありませんでした。ペーパーバックなどの読書はもう楽しみとして生活の中に溶け込んでいます。タイム、ニューズウィークなどの雑誌も、数時間でカバー・トゥ・カバーで読み切ることができます。'97年に受験したTOEICでは985点とほぼ満点のスコアでした。
私の英語力はマスターレベルには程遠いにしても、日本で生まれ育ち、外国語として英語を学ぶ一般的日本人が目指す一つの目標にはなり得るし、少なくとも必ず通過しなければならない中継地点であると思います。
そして、この地点にたどり着くまでの案内人としての資格には、私は自信を持っています。逆説めきますが、英語が私にとって外国語で、学習により覚えた言語であることが、わたしに案内人たる資格を与えるのだと思います。
私達は、日本語のネイティブ・スピーカーであり、英語が「ペラペラ」の英米人と同じように、日本語が「ペラペラ」です。外国人が日本語の間違いを犯せば、「そこはこういうんだよ。」と指摘することができます。しかし、なぜそういわなければならないんだと反論されると、相手が納得するように文法・語法的な説明を与えることは難しいものです。母国語である日本語を客観的に眺め分析することは少ないからです。さらに、日本語力が十分でない外国人に、日本語に上達するための学習法と、トレーニングプランを教えてくれと頼まれたらお手上げではないでしょうか?ネイティブ・スピーカーである日本人にとって日本語は物心ついた時には身についていた言葉ですから、体系的な学習法などわからないからです。
私は、英語学習を始めたばかりの初心者の頃からこの点に関してだけはよく理解していて、英語学習法を求める際は、日本で生まれ育ち学習によって英語に熟達した人のアドバイスに耳を傾け、当時は少なかった、国内で英語の基礎を習得した著者による英語学習のノウハウ本を熟読したものです。ネイティブ・スピーカーは、一定の基礎が身につき英語によるコミュニケーションが可能になった後に英語力を磨くための練習相手、というように截然と分けて考えていました。
基礎の無い外国人に母国語を教えることの難しさは私自身アイルランドで実体験しました。アイルランドの人たちに日本語を個人教授したのです。簡単に考えていたことがどんなに大変なことかすぐにわかりました。ある言葉に熟達していることと、その言葉の基礎を持たない人に教えることはまったくの別物なのです。わたしは書店に駆け込み、英語のネイティブ・スピーカー向けの日本語学習書を何冊か買い込み懸命に勉強しました。我々が学校で習う国文法(橋本文法)の知識は外国人に日本語を教えるためにはほとんど役に立ちません。外国人用の日本語学習書を熟読することによって、私は初めて、外国人に、「私はそこへ行く」と「私がそこに行く」のニュアンスの差を英語を話す人たちに説明する方法や、長いものを数える際、一つの時は「いっぽん」で2つになると「にほん」になり、3つだと「さんぼん」に変るという現象を支配する音韻ルールなどを知りました。また、自分の英語学習体験が、アイルランド人生徒たちに日本語学習法を教え、トレーニングプランを作成するのに非常に役立ちました。
私はなかなか良心的な熱意ある日本語教師だったと自負しています。熱心な生徒の中には日本語で基本的な会話ができる者はもちろん、簡単な読み物を読めるようになったものや、常用漢字をほぼマスターする者もいました。しかし、上級以前の学習者に日本語を教える私の能力は、英語の基礎を指導するトレーナーとしての私の能力を超えることはありませんでした。
非常に矛盾したように聞こえるかもしれません。私にとって、英語はいまだマスターしたとはとてもいえぬ外国語です。日本語は皮膚感覚にまで身についた母国語です。私の英語の使用能力は、日本語のそれとは比べるべくもなく限定されています。しかし、母国語のこの上ない居心地のよさこそが、一方で、私の日本語教師としての限界の原因となるのです。なるほど、すでに上級の域の日本語を身につけた外国人学習者は、私と自然な会話をすることによってさらに日本語に磨きをかけることができるでしょう。彼(あるいは彼女)の犯す微妙な間違いを正したり、未知の表現を教えるということもできます。しかし、日本語を学ぶ人の大多数を占める上級以前の学習者となると、話は違ってきます。
私には、日本語を外国語として学習する人が遭遇する困難、苦しみを実感することは叶わないし、日本語学習法は英語学習法の反映・応用に過ぎません。あまりにも日本語に馴染みすぎているからです。
しかし、英語に関しては、日本に生まれ育った日本人が味わう、ありとあらゆる困難を経験してきました。外国語に対する才能を持たない私は、平均的日本人が英語学習においてぶつかるすべての壁にぶつかってきました。しかし、なんとか英語の奥深い世界の入り口にたどり着くことはできました。そして、この道のりの案内に関しては知り尽くしていると自負しています。1998年以来、私は小さな教室を主宰して、勇気ある舟人の水先案内をしてきました。そして、自ら学習をやめない限り、すべての人を、入り江を通り抜け、英語の大洋に送り届けることができました。
旅の目的地に到着するための経路がいくつもあるように、英語を身につけるためには、さまざまな方法があります。しかし、日本で生まれ育った人が一定の年齢になってから英語を学習する場合、効果的な学習法にはいくつかの本質的な共通点があります。私が当サイトで紹介するメソッドも、こうした基本的、本質的な学習法を、私なりにアレンジし整理したものに過ぎません。
しかし、1998年からこのメソッドに基づいて指導してきた経験から、その効果には自信を持っています。現在、初級(TOEIC300程度)から中級(TOEIC500〜600)くらいの英語力の人がこのメソッドにしたがって学習・トレーニングを継続すれば、数年後、別人の英語力になっているでしょう。当サイトがご案内するのはTOEICで900前後のレベルまでですが、目的にあわせ途中下車も自由です。どうぞ、自分自身の旅を楽しんで下さい。
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